『夢魔子』 ココロの夢かなえます


ギミア・ぶれいくで、放送されたことのある『夢魔子』は笑うセールスマンでお馴染の藤子不二雄A先生の作品!
1970年代の原作なので笑うセールスマンは後の誕生になりますが、右から見ようが左から見ようが笑うセールスマン・喪黒福造が女性になった内容です。ドーンとされるか煙に包まれるかの違いなんです!ちょっと怖い・・・



夢魔子と喪黒福造の関係性

生みの親が同じというだけであって、夢魔子と喪黒福造は親戚でも何でもありません。人の不幸を楽しんでいる感じは似ていますが、作品のコンセプトはどうなんだろう?
マザコンの新社会人を何とかしようとした話は、夢魔子と笑うセールスマンのどちらもあった。笑うセールスマンは出社拒否をしている新社会人は、課長が怖くて会社に行くことが出来ない青年。夢魔子の場合は、競争を嫌い自分一人の空間を大事にする大人しい青年であり、人と関わることをも嫌うタイプ。夢魔子は、会社に行くのが楽しくなるように同僚にコーヒーを入れてあげることを勧め、その青年は実行し、みんな喜んで美味しそうに青年が入れたコーヒーを飲んでくれた。しかし、そのことが母が知って激怒。青年は繭の中に閉じこもってしまい二度と出ることはないことを連想させた結末であった。
笑うセールスマンの場合だと課長のことを怖がる新社会人に編み物をマスターするよう言われ、会社の昼休みに編み物をしていると課長に呼び出されてしまい怒鳴られるのではなく好感を持たれてしまい絆が出来た。母親のせいで、課長の趣味が編み物であることが会社中にバレてしまい課長は退職して編み物教室を始めることになったが、その青年も一流会社であるにも関わらず、退職して課長と一緒に編み物教師で働き始めた。

共通点は新社会人、大人しい性格、母親、モンスターペアレントであり、藤子不二雄A先生は現代社会のことを予想していたのかと思えるほどリアルであった。強いて言えば、スマホやネットが普及していないぐらいだろう。

夢魔子は繭の中に閉じ込め、喪黒福造は課長と恋仲にした結末であった。
この二人の新社会人にとってはいい結末かもしれないが、客観的に見ると辛い現実から逃げているだけである。しかし、ストレス社会が続く限り夢魔子、喪黒福造のような人物は、自分の前に現れ甘いことを囁き現実逃避に導いて最後の最後は取り返しのつかないことになるのだろう。


夢魔子と笑うセールスマンは悪夢だった

夢魔子と喪黒福造はブラックユーモアというジャンルになる。しかし、ホラーに近い部分があるのではないかと思うぐらい悪夢を見ている気分になる。人の弱さ、悩み、欲求からこれらのキャラクターは登場して最後の最後で人を陥れるだけでなく不幸にさせることも・・・笑うセールスマンは年を取らせ過ぎた話題が多々。夢魔子では、芸大に進学して絵を学びたい少年が父に反対され普通の大学に進学してサラリーマンになるよう強く言われ続け、最終的に芸大志望の高校生は絵を描くことを止めて、サラリーマンになると父に言うが、10代の顔ではなく容姿が中年になってしまったのだった。夢魔子のイタズラか父親の願いが叶ったのかは解らない。だが、父親は息子が絵を描くことを止めてサラリーマンになると聞いて喜び、息子の容姿が中年になっていたことに驚きを隠せない。喜ばせるだけ喜ばせ容姿は立派なサラリーマン。複雑過ぎる。

現代社会は、サラリーマンになれたとしても老後まで保証がない。
年功序列、終身雇用が消えてしまい一度退職したら非正規雇用からのスタートというのも珍しくない時代だ。青春時代から勉学に励むのはサラリーマンがゴールであり、サラリーマンから定年退職というゴールを目指して必死で働かなければならい。そのためには、どんな理不尽なことがあっても我慢が必要であり、ストレスとも上手に付き合わないといけない。それが下手で思いつめると夢魔子、喪黒福造が心の隙間から現れるのだろう。


終わりに

夢魔子の映像ソフトは廃盤になっているため、持っていたらプレミアだが、笑うセールスマンに関してはDVD発売もされているので、自分に当てはまる話は絶対にあるはずだ。無気力になったサラリーマン、ギャンブルが止められない人、自分だけの世界から出たくない人など。社会との関わりを止めると人間は善悪の区別が判断出来なくなり、自分が全てになってしまうため、社会とは最低限関わることが大事なのだと夢魔子と喪黒福造に教えられた気がした。

Writing by:店員A

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