NHKで大河ドラマ「西郷どん」が放送されていますが、西郷隆盛をメインとして制作された作品は、映画とテレビドラマを含んでも数が少ない!
まず、私の場合はNHKは見ませんので、西郷どんがどんなふうに進められているか知りませんが、最近の放送だと小栗旬が坂本竜馬役で出演したそうですね。そこを福山雅治にする必要はないと思うんですよ。だってNHKが視聴率なんて気にする必要ないでしょ!もし、受信料を必要としないテレビ局だったら福山雅治を坂本竜馬役でキャスティングしてもいいと思う。でも、受信料を払わないと刑事処罰が下されるとするのであれば、民間放送よりもいい番組を作るべきですね!
放送法でNHKに受信料を払わなくても牢屋に入れられることはありません!
非正規雇用、低所得者が多い日本です。NHKの受信料を払う余裕なんてあるわけありません!視聴率を気にするNHKは、国民から受信料を取ろうとせずに民間放送になって頑張るべきだと思いますよ!
NHKの受信料の話をしたら西郷隆盛の話と関係無い話題になるので、NHKの受信料で悩んでる方はNHKから国民を守る党に相談をすることをオススメします!
前回は、ポル・ポトがどんな人物でどんな政治をしていたかについて書き込みましたが、今回は西郷隆盛がどんな人物で、どうして西南戦争で命を落としたのかということなどを書き込んでいきたいと思います!
店員Bさんなら映画について詳しく書き込んでくれるのに、何で私の場合は方向性が違うんだと思ったら思うだけにして、文句は言わないで下さい!文句が言いたいならネットで誹謗中傷するのは止めてくれ!
まず、皆さんは西郷隆盛をどのような人物だと学校で習いましたか?
義務養育時代、日本史Aだと明治を向える時に活躍した人物で西南戦争でこの世を去ったという曖昧な感じだったかもしれません。日本史Bでもこのような曖昧な感じに教わり、西南戦争のきっかけの理由は、明治維新から朝鮮半島を植民地にしようとした征韓論が通らず、鹿児島に帰り私学校を作り、鹿児島を独裁政権で支配し、最後は利権を失った封建士族達と一緒になって西南戦争を起こした封建主義の権力・対外侵略主義者だと教わったかもしれません。
朝鮮半島を侵略した征韓論についてですが、近代史を専攻している方は、大嘘だという方も多いでしょう!
征韓論とは連帯論のことです!
征韓論は朝鮮侵略ではなく朝鮮との連帯論ということになります。ここまでだと西郷隆盛は左翼かと思う人もいるかもしれませんが、封建主義的な考えはそのまま残っていたので、西郷隆盛は日本で最初の右翼とも言われております。そのせいで、間違った考えの団体が、西郷隆盛の真似なんかしたら日本は世界から批判されるでしょう。
昔、某テレビ番組に暴走族がテレビ出演していて、日本刀を持って暴走行為をすることは侍の心とか意味不明なことを言ってたのを聞いて、このアホは義務教育からではなく幼稚園からやり直せと思ってしまうほど、アホな発言をしていました。つまり、暴走族とか半グレが人様に迷惑を掛ける理由なんて何でもいいということです。日本のためとか関係ないのです。
西郷隆盛は、朝鮮・満州における軍事行動を常に考えていた人物で、部下を現地調査に派遣させたり、軍事同盟は軍事基地の租借を含むものと考えられます。朝鮮と軍事同盟を結ぶためには国交を結ぶ必要があるので、西郷隆盛は朝鮮と国交を結ぶために平和使節に任せることを望みます。日本と朝鮮の国交が開き、ロシアに対する共同防衛体制を確立したいとまで考えており、それが無理なら戦争によって現体制を変革することも辞さないということが、西郷隆盛の考えと言われていますが、これを考えたのは西郷隆盛ではありません。薩摩藩の富国強兵に成功した島津斉彬の構想でした。島津斉彬は明治維新前にいない人物となってしまいました。だから、西郷隆盛が島津斉彬の意思を継いだということになります。西郷隆盛が島津斉彬を毒殺したという説がありますが、そこはどう考えるか人それぞれなんじゃないですかね?日本史の教科書もそうですが、入試問題にこんなん出ることは有り得ませんので、雑学程度でいいと思います。合コンで使える雑学ではないですけど(苦笑)
朝鮮半島を帰属にする考えはなかったワケで、征韓論を侵略論と考えていたのは、木戸孝允であると検証されています。また、開戦論者だった板垣退助に対して、君の望む戦争になる的な言い方をしていたそうです。
西郷隆盛は、平和的に交渉をしたいという考えで、それが無理だったら開戦も仕方ないというものでした。さらに、西郷隆盛は大日本帝国の考え方を批判していたので、日本で最初の右翼とも言われているのです。ただ、戦争をすればいいという考えだけはなく平和的に交渉を望んでいただけであり、開戦主義の大日本帝国とは考え方がズレています。ここは、右翼と左翼の思想を日本史からではなく世界史で調べてみて下さい。
西郷隆盛は、いかなる科学技術が発展して文明に開花しても、それを傘に他国を力で従わせるような国は、野蛮だと主張しており、これは帝国主義批判で、日本は列強のように他国を侵略するべきではないと論じていました。
征韓論を侵略論に変えたのは大久保利通です。大久保利通は征韓論を開戦論として、外征か内治かという対立にして、新聞を利用して財政も国内基盤も整ってないうちに対外戦争をするなんて有り得ないから、今は内治を優先させるべきという運動をしました。しかし、これは大久保利通の作戦で、国民に嘘を付きまくり、西郷隆盛だけを悪者にしたのです。それほど、当時の日本の政治家は開戦派が多いということだったんですね。
なぜ、大久保利通という政治家は、幼馴染で幕末に一緒に頑張っていた西郷隆盛を陥れたかというと、専制権力によって近代化しないとこれから日本が生きていけないという思想だったのです。その障害であった西郷隆盛を陥れることが一番手っ取り早く日本が開戦する近道でした。
西洋視察に行った大久保利通は、専制的な日本政府を作った上で、近代国家を目指したということにもなります。西洋文化を取り入れるのに西郷隆盛の考えが、当時の日本政府の障害となったというワケで、西郷隆盛が日本最初の右翼と言われることも納得した人もいるのではありませんか?
右翼=天皇というのは、祝日などに街宣車に乗って軍歌を多く鳴らして、拡声器で演説してる団体ぐらいですわ。そら、中にはアウトローから援助を受けないで、本当に天皇陛下が好きでそういう活動をしてる人達もいますよ。でも、アウトローの下品な連中が絡んで、そういう活動をしてる連中は天皇陛下を利用して金儲けをしたい極悪非道な団体です。
西郷隆盛は征韓論で敗れてしまい鹿児島に帰り、軍事訓練を目的とした私学校を作り、最後は日本の近代化に反対する封建士族たちと西南戦争を起こしたと教科書に書いてますけど、何で文部省が大久保利通や板垣退助が開戦派だったのか書かなかったり、彼らを悪い部分を書かないかというとカリキュラムの問題だけではないと思います。
西郷隆盛は封建主義の権化で、日本に悪い影響という存在と習った方も多いと思いますが、それなら何で伝記になったりするんでしょうかね?
まず、西郷隆盛は封建制度を廃止させた人物の一人です。廃藩置県も行い藩主から土地を剥奪し、封建制度の根幹を成す御恩・奉公が成立することがなくなったので、ここだけで、西郷隆盛が封建主義の権化でないことが明らかになります。また、西郷隆盛は福沢諭吉の論文に影響され部下に推奨してたり、慶応大学に進学することを勧めていました。また、フランス語を学ぶためにフランス留学を若者たちに勧めていたので、開戦派の政治家はその考え方が邪魔だったとも言われています。ここまでまとめると、西郷隆盛は日本の近代化に否定的ではなく近代化に賛成な立場だったということが解ります。開戦派の政府との考えが違うということです!
大久保利通も近代化を目指していたのに、なぜ対立したかというと大久保利通は国民が逆らうことが出来ない幕府のような政府を目指し、西郷隆盛は民衆から親しみ易い政府を目指していたということです。
NHKで放送されている「西郷どん」で、何で西南戦争が起きたのか放送されるのでしょうね?ま、私はNHKを見ないですので、そんなの関係ありませんが!
writing by:店員A
まず、私の場合はNHKは見ませんので、西郷どんがどんなふうに進められているか知りませんが、最近の放送だと小栗旬が坂本竜馬役で出演したそうですね。そこを福山雅治にする必要はないと思うんですよ。だってNHKが視聴率なんて気にする必要ないでしょ!もし、受信料を必要としないテレビ局だったら福山雅治を坂本竜馬役でキャスティングしてもいいと思う。でも、受信料を払わないと刑事処罰が下されるとするのであれば、民間放送よりもいい番組を作るべきですね!
放送法でNHKに受信料を払わなくても牢屋に入れられることはありません!
非正規雇用、低所得者が多い日本です。NHKの受信料を払う余裕なんてあるわけありません!視聴率を気にするNHKは、国民から受信料を取ろうとせずに民間放送になって頑張るべきだと思いますよ!
NHKの受信料の話をしたら西郷隆盛の話と関係無い話題になるので、NHKの受信料で悩んでる方はNHKから国民を守る党に相談をすることをオススメします!
前回は、ポル・ポトがどんな人物でどんな政治をしていたかについて書き込みましたが、今回は西郷隆盛がどんな人物で、どうして西南戦争で命を落としたのかということなどを書き込んでいきたいと思います!
店員Bさんなら映画について詳しく書き込んでくれるのに、何で私の場合は方向性が違うんだと思ったら思うだけにして、文句は言わないで下さい!文句が言いたいならネットで誹謗中傷するのは止めてくれ!
まず、皆さんは西郷隆盛をどのような人物だと学校で習いましたか?
義務養育時代、日本史Aだと明治を向える時に活躍した人物で西南戦争でこの世を去ったという曖昧な感じだったかもしれません。日本史Bでもこのような曖昧な感じに教わり、西南戦争のきっかけの理由は、明治維新から朝鮮半島を植民地にしようとした征韓論が通らず、鹿児島に帰り私学校を作り、鹿児島を独裁政権で支配し、最後は利権を失った封建士族達と一緒になって西南戦争を起こした封建主義の権力・対外侵略主義者だと教わったかもしれません。
朝鮮半島を侵略した征韓論についてですが、近代史を専攻している方は、大嘘だという方も多いでしょう!
征韓論とは連帯論のことです!
征韓論は朝鮮侵略ではなく朝鮮との連帯論ということになります。ここまでだと西郷隆盛は左翼かと思う人もいるかもしれませんが、封建主義的な考えはそのまま残っていたので、西郷隆盛は日本で最初の右翼とも言われております。そのせいで、間違った考えの団体が、西郷隆盛の真似なんかしたら日本は世界から批判されるでしょう。
昔、某テレビ番組に暴走族がテレビ出演していて、日本刀を持って暴走行為をすることは侍の心とか意味不明なことを言ってたのを聞いて、このアホは義務教育からではなく幼稚園からやり直せと思ってしまうほど、アホな発言をしていました。つまり、暴走族とか半グレが人様に迷惑を掛ける理由なんて何でもいいということです。日本のためとか関係ないのです。
西郷隆盛は、朝鮮・満州における軍事行動を常に考えていた人物で、部下を現地調査に派遣させたり、軍事同盟は軍事基地の租借を含むものと考えられます。朝鮮と軍事同盟を結ぶためには国交を結ぶ必要があるので、西郷隆盛は朝鮮と国交を結ぶために平和使節に任せることを望みます。日本と朝鮮の国交が開き、ロシアに対する共同防衛体制を確立したいとまで考えており、それが無理なら戦争によって現体制を変革することも辞さないということが、西郷隆盛の考えと言われていますが、これを考えたのは西郷隆盛ではありません。薩摩藩の富国強兵に成功した島津斉彬の構想でした。島津斉彬は明治維新前にいない人物となってしまいました。だから、西郷隆盛が島津斉彬の意思を継いだということになります。西郷隆盛が島津斉彬を毒殺したという説がありますが、そこはどう考えるか人それぞれなんじゃないですかね?日本史の教科書もそうですが、入試問題にこんなん出ることは有り得ませんので、雑学程度でいいと思います。合コンで使える雑学ではないですけど(苦笑)
朝鮮半島を帰属にする考えはなかったワケで、征韓論を侵略論と考えていたのは、木戸孝允であると検証されています。また、開戦論者だった板垣退助に対して、君の望む戦争になる的な言い方をしていたそうです。
西郷隆盛は、平和的に交渉をしたいという考えで、それが無理だったら開戦も仕方ないというものでした。さらに、西郷隆盛は大日本帝国の考え方を批判していたので、日本で最初の右翼とも言われているのです。ただ、戦争をすればいいという考えだけはなく平和的に交渉を望んでいただけであり、開戦主義の大日本帝国とは考え方がズレています。ここは、右翼と左翼の思想を日本史からではなく世界史で調べてみて下さい。
西郷隆盛は、いかなる科学技術が発展して文明に開花しても、それを傘に他国を力で従わせるような国は、野蛮だと主張しており、これは帝国主義批判で、日本は列強のように他国を侵略するべきではないと論じていました。
征韓論を侵略論に変えたのは大久保利通です。大久保利通は征韓論を開戦論として、外征か内治かという対立にして、新聞を利用して財政も国内基盤も整ってないうちに対外戦争をするなんて有り得ないから、今は内治を優先させるべきという運動をしました。しかし、これは大久保利通の作戦で、国民に嘘を付きまくり、西郷隆盛だけを悪者にしたのです。それほど、当時の日本の政治家は開戦派が多いということだったんですね。
なぜ、大久保利通という政治家は、幼馴染で幕末に一緒に頑張っていた西郷隆盛を陥れたかというと、専制権力によって近代化しないとこれから日本が生きていけないという思想だったのです。その障害であった西郷隆盛を陥れることが一番手っ取り早く日本が開戦する近道でした。
西洋視察に行った大久保利通は、専制的な日本政府を作った上で、近代国家を目指したということにもなります。西洋文化を取り入れるのに西郷隆盛の考えが、当時の日本政府の障害となったというワケで、西郷隆盛が日本最初の右翼と言われることも納得した人もいるのではありませんか?
右翼=天皇というのは、祝日などに街宣車に乗って軍歌を多く鳴らして、拡声器で演説してる団体ぐらいですわ。そら、中にはアウトローから援助を受けないで、本当に天皇陛下が好きでそういう活動をしてる人達もいますよ。でも、アウトローの下品な連中が絡んで、そういう活動をしてる連中は天皇陛下を利用して金儲けをしたい極悪非道な団体です。
西郷隆盛は征韓論で敗れてしまい鹿児島に帰り、軍事訓練を目的とした私学校を作り、最後は日本の近代化に反対する封建士族たちと西南戦争を起こしたと教科書に書いてますけど、何で文部省が大久保利通や板垣退助が開戦派だったのか書かなかったり、彼らを悪い部分を書かないかというとカリキュラムの問題だけではないと思います。
西郷隆盛は封建主義の権化で、日本に悪い影響という存在と習った方も多いと思いますが、それなら何で伝記になったりするんでしょうかね?
まず、西郷隆盛は封建制度を廃止させた人物の一人です。廃藩置県も行い藩主から土地を剥奪し、封建制度の根幹を成す御恩・奉公が成立することがなくなったので、ここだけで、西郷隆盛が封建主義の権化でないことが明らかになります。また、西郷隆盛は福沢諭吉の論文に影響され部下に推奨してたり、慶応大学に進学することを勧めていました。また、フランス語を学ぶためにフランス留学を若者たちに勧めていたので、開戦派の政治家はその考え方が邪魔だったとも言われています。ここまでまとめると、西郷隆盛は日本の近代化に否定的ではなく近代化に賛成な立場だったということが解ります。開戦派の政府との考えが違うということです!
大久保利通も近代化を目指していたのに、なぜ対立したかというと大久保利通は国民が逆らうことが出来ない幕府のような政府を目指し、西郷隆盛は民衆から親しみ易い政府を目指していたということです。
NHKで放送されている「西郷どん」で、何で西南戦争が起きたのか放送されるのでしょうね?ま、私はNHKを見ないですので、そんなの関係ありませんが!
writing by:店員A
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