『タリウム少女の毒殺日記』は、2005年に起きたタリウム母親毒殺未遂事件をモチーフにした映画。タリウムと聞くと名古屋大学女子大生事件も一緒に思い出す!
この少女2人の共通点は精神障害、発達障害があるということだ!
正直、世の中は精神障害、発達障害を持っている人に対して厳しい。少しは認知されているが、差別はまだ続いている。精神障害というだけで汚い者ではなく汚い物を見るような目で見る人間もいれば、障害者枠で応募しても精神障害、発達障害というだけで、面接すらしてくれない企業がほとんどだ!
精神障害、発達障害というだけで、これらの障害を持っている全員が静岡の女子高生タリウム事件、名古屋大学女子大生事件のようなことをすることはないと言い切れる!
たまに発達障害だから何を言っても許されると開き直った発言をする人もいるが、そういう人は一人で今の日本社会を生きていけないだろう。たまに精神障害と発達障害は、甘えで根性がないと批判をする人がいるが、根性だけでこれらの障害が完治するなら地球という星には障がい者がいなくなるということである。極端な例えだが、病気は根性でどうにかなると言い切る人が、もし私が上記で述べたような屁理屈にも責任を持つべきだ。今の日本社会で精神障害をオープンにして就労するには倍率がかなり高い。それも正規雇用だと笑点の大喜利で一発目から座布団10枚もらえるほど難しいものだ。
タリウム少女の毒殺日記は、2005年に静岡県で起きたタリウム母親毒殺未遂事件をモチーフにした作品だが、この女子高生と2014年1月に起きた名古屋大学女子大生殺人事件の受刑者との共通点は、精神障害と発達障害以外にもいくつかある。一番最初に浮かんだのは、タリウムと成績優秀な理系少女ということだったがタリウム母親毒殺未遂事件の女子高生は、卒業アルバムか卒業文集で好きな芸能人という蘭にグレアム・ヤングというイギリスの毒殺犯の名を挙げており、動物の死骸の標本やナチスドイツの写真が発見されている。
元名古屋大学女子大生の受刑者に関しては、SNSで神戸市須磨区の児童殺害事件の犯人である少年A、大阪教育大学附属池田小学校殺人事件の元死刑囚、秋葉原通り魔事件の死刑囚の誕生日を祝ったりする投稿されており、他にも凶悪犯たちを崇拝している投稿が多くあった。あの投稿を読んだ時は、恐怖としか思えなかったが、テレビや新聞に目を通すとメディアも元名古屋大学女子大生の受刑者を遠回しに異常者扱いした報道をしてように感じた。
精神鑑定で発達障害と精神障害が認定され、発達障害と精神障害の人達が偏見に思われるようにしたのは、この二人の少女でもある。もう少し、細かく言うと折角、精神障害に対して日本が認知されてきたと思ったら、このような事件がきっかけで、再び精神障害をイメージダウンさせてしまったということだ!
彼女達の犯行で被害者、被害者遺族が一番悲しいと世間は思うのは当然であるが、就労先を探している精神障害の人々にも迷惑をかけたのだ。精神障害、発達障害があるというだけで、この二人と同じ思考をしていると思い込む人もいるが、果たしてそうだろうか?
イメージがいい芸能人でも精神障害の人は多くいる。一番、分かりにくいのはアルコール依存症かもしれない。河島英五や美空ひばりや石原裕次郎は肝硬変を引き起こし、短命でこの世を去った。彼らが亡くなった時代は、アルコール依存症と診断されても認める人は少数だった。しかし、エリック・クラプトンは自分をアルコール依存症と認め治療に専念した。つまり精神障害を発生したからというだけで、凶悪犯になるという考えは大きな間違いである!だが、日本は自己責任の国なので、精神障害になってしまい凶悪犯になると思われて仕方ないということは、自己責任で片付けられしまうので、精神障害になるということは精神力が弱いだとか根性がないの一言で、精神障害を論破出来るシステムということでもある。
もし、イメージのいいイケメン俳優や美少女アイドルが仕事が忙しすぎてうつ病になったら世間は心配するだろう。容姿とコミュニケーション能力は瓜二つというのが今の日本社会である。
元名古屋大学女子大生の受刑者は無期懲役という判決だった。
発達障害を理由に無罪を主張したと報道されていたが、私はそれとこれとは別だと思う。やっていいことと悪いことを教えなければならない。私の知り合いでアスペルガーの人がいるが、その人は言っていいことを悪いことの区別が出来ないだけでなく、その場の空気を読むことが出来ない。そのせいか「自分はアスペルガーだから何を言っても許される」と笑いながら言っていたので、専門的な知識を持った人間がそういう人に善悪の区別を教える必要性がある。また、発達障害を理由に無罪にならなかったのだから、発達障害を理由に何をしても許されないという考えを持っている発達障害の人がいるならそこは考え直すべきだ!
精神障害と発達障害に対して日本社会は厳しく自己責任になってしまうため、これから先も精神障害と発達障害をオープンにして就職を探すことは茨の道になりかねない。それが日本社会なので、このような障害で苦しんでいる人達のために国は就労支援施設をもっと増やすべきだと私は思う。
彼女達が犯した罪は許されることではないが、元名古屋大学女子大生の受刑者が発達障害を理由に無罪を主張というのは大きな間違いであり、天に向かって唾を吐くようなものだ。
罪を犯したから罰を受けるということを無期の刑務所生活で学んで無期懲役囚として一生罪を償うべきである。
writing by:店員A
この少女2人の共通点は精神障害、発達障害があるということだ!
正直、世の中は精神障害、発達障害を持っている人に対して厳しい。少しは認知されているが、差別はまだ続いている。精神障害というだけで汚い者ではなく汚い物を見るような目で見る人間もいれば、障害者枠で応募しても精神障害、発達障害というだけで、面接すらしてくれない企業がほとんどだ!
精神障害、発達障害というだけで、これらの障害を持っている全員が静岡の女子高生タリウム事件、名古屋大学女子大生事件のようなことをすることはないと言い切れる!
たまに発達障害だから何を言っても許されると開き直った発言をする人もいるが、そういう人は一人で今の日本社会を生きていけないだろう。たまに精神障害と発達障害は、甘えで根性がないと批判をする人がいるが、根性だけでこれらの障害が完治するなら地球という星には障がい者がいなくなるということである。極端な例えだが、病気は根性でどうにかなると言い切る人が、もし私が上記で述べたような屁理屈にも責任を持つべきだ。今の日本社会で精神障害をオープンにして就労するには倍率がかなり高い。それも正規雇用だと笑点の大喜利で一発目から座布団10枚もらえるほど難しいものだ。
タリウム少女の毒殺日記は、2005年に静岡県で起きたタリウム母親毒殺未遂事件をモチーフにした作品だが、この女子高生と2014年1月に起きた名古屋大学女子大生殺人事件の受刑者との共通点は、精神障害と発達障害以外にもいくつかある。一番最初に浮かんだのは、タリウムと成績優秀な理系少女ということだったがタリウム母親毒殺未遂事件の女子高生は、卒業アルバムか卒業文集で好きな芸能人という蘭にグレアム・ヤングというイギリスの毒殺犯の名を挙げており、動物の死骸の標本やナチスドイツの写真が発見されている。
元名古屋大学女子大生の受刑者に関しては、SNSで神戸市須磨区の児童殺害事件の犯人である少年A、大阪教育大学附属池田小学校殺人事件の元死刑囚、秋葉原通り魔事件の死刑囚の誕生日を祝ったりする投稿されており、他にも凶悪犯たちを崇拝している投稿が多くあった。あの投稿を読んだ時は、恐怖としか思えなかったが、テレビや新聞に目を通すとメディアも元名古屋大学女子大生の受刑者を遠回しに異常者扱いした報道をしてように感じた。
精神鑑定で発達障害と精神障害が認定され、発達障害と精神障害の人達が偏見に思われるようにしたのは、この二人の少女でもある。もう少し、細かく言うと折角、精神障害に対して日本が認知されてきたと思ったら、このような事件がきっかけで、再び精神障害をイメージダウンさせてしまったということだ!
彼女達の犯行で被害者、被害者遺族が一番悲しいと世間は思うのは当然であるが、就労先を探している精神障害の人々にも迷惑をかけたのだ。精神障害、発達障害があるというだけで、この二人と同じ思考をしていると思い込む人もいるが、果たしてそうだろうか?
イメージがいい芸能人でも精神障害の人は多くいる。一番、分かりにくいのはアルコール依存症かもしれない。河島英五や美空ひばりや石原裕次郎は肝硬変を引き起こし、短命でこの世を去った。彼らが亡くなった時代は、アルコール依存症と診断されても認める人は少数だった。しかし、エリック・クラプトンは自分をアルコール依存症と認め治療に専念した。つまり精神障害を発生したからというだけで、凶悪犯になるという考えは大きな間違いである!だが、日本は自己責任の国なので、精神障害になってしまい凶悪犯になると思われて仕方ないということは、自己責任で片付けられしまうので、精神障害になるということは精神力が弱いだとか根性がないの一言で、精神障害を論破出来るシステムということでもある。
もし、イメージのいいイケメン俳優や美少女アイドルが仕事が忙しすぎてうつ病になったら世間は心配するだろう。容姿とコミュニケーション能力は瓜二つというのが今の日本社会である。
元名古屋大学女子大生の受刑者は無期懲役という判決だった。
発達障害を理由に無罪を主張したと報道されていたが、私はそれとこれとは別だと思う。やっていいことと悪いことを教えなければならない。私の知り合いでアスペルガーの人がいるが、その人は言っていいことを悪いことの区別が出来ないだけでなく、その場の空気を読むことが出来ない。そのせいか「自分はアスペルガーだから何を言っても許される」と笑いながら言っていたので、専門的な知識を持った人間がそういう人に善悪の区別を教える必要性がある。また、発達障害を理由に無罪にならなかったのだから、発達障害を理由に何をしても許されないという考えを持っている発達障害の人がいるならそこは考え直すべきだ!
終わりに・・・
タリウム少女の毒殺日記がモチーフになった母親毒殺未遂事件の女子高生と名古屋大学女子大生殺人事件の受刑者の共通点は理系少女、タリウム、凶悪犯を崇拝と発達障害、精神障害だった。精神障害と発達障害に対して日本社会は厳しく自己責任になってしまうため、これから先も精神障害と発達障害をオープンにして就職を探すことは茨の道になりかねない。それが日本社会なので、このような障害で苦しんでいる人達のために国は就労支援施設をもっと増やすべきだと私は思う。
彼女達が犯した罪は許されることではないが、元名古屋大学女子大生の受刑者が発達障害を理由に無罪を主張というのは大きな間違いであり、天に向かって唾を吐くようなものだ。
罪を犯したから罰を受けるということを無期の刑務所生活で学んで無期懲役囚として一生罪を償うべきである。
writing by:店員A
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