先日の「爆音上映会」のトップを切って公開されたのが
デヴィットボウイが主演した「地球に落ちてきた男」
当然のごとく、満員だった。補助席も出てた。
そして、本当に「爆音」で看板に偽りなし!と嬉しくなった幕開けでございました!!
今年の1月にこの世を去ったデヴィットボウイは、
間違いなく「死」を迎える「我々と同じ人間だったんだ」とちょこっと落胆した。
近年は、カリスマ性と品の良さを漂わせながらも年相応な「かっこよさ」があったけど
どこかで
あれだけの超越した「美しさ」を持った人は死なないんじゃないかと思っていたのだ。
超越したというのは男女という意味もあるし、人間と美術品という意味もあるし…
「神」に近いのかと。。
とにかくこの世のものでは測れない美しさが詰まった人だとずっとずっと思っていたのですが、
今回の映画を観て、再確認いたしました。
そう、デヴィットボウイの美しさは宇宙レベル!!!なのです。
美しいデヴィットボウイが豊富な映画でそれだけでも観る価値がありますが、
70年代のファッションやインテリアなども、その当時のそのままが感じられます。
このあたりも個人的には超好み♪
特にメリー・ルゥと出会ってしばらく暮らす部屋や、バスルーム
そして沢山のテレビが置かれた様子はとてもおしゃれ。
東洋テイストに溢れた湖畔の家もキモノ風の羽織も、
レトロなんだけどその色合いや質感がとても良くて、思わずストーリーそっちのけで見入っていました。
さてさて、
説明が少ないので分かりにくいとされるストーリーですが、
そこまで複雑でもなく、難解でもないので
イメージに対して自由に肉付けできるところがまた楽しいところ。
とくに、故郷である星の説明はまったくセリフもなく映像のみで
イマジネーションを掻き立てます。
デヴィットボウイが演じる異星人ニューマンの
故郷に残して来た家族が砂漠に飲まれ死に絶えていく様子も物悲しく…
セリフや説明がないので、アレですが…
多分、ニューマンの星の人々は
皮ふが水(あるいは液体)で濡れていないと生きていけないという事なのでしょう。
背中に背負ったタンクは水を循環させる機械か何かで
チューブが巻きついたビニールで全身が覆われているのは、タンクからの水をつねに皮ふに供給する役割
なのでしょうね…
それの証拠として
メリー・ルゥに自分の正体をさらけ出すニューマンが、メリー・ルゥに触れると
その部分だけがびちゃびちゃに濡れているのです。
そりゃあ…
キャアアアアーーーーーーーーーーーー!!!
ですよね。うんうん。
例えるなら「手汗」を書いた人に触られてしまうような感じ…なのかな。
という事は、ニューマンは地球に水を求めてやってきたのであろうと推測できます。
きっときっと子ども達が背負ったタンクに水を満タンに入れてあげたかったのでしょう。
そう思って冒頭の湖を眺めるシーンを見ると
胸に迫るものがあります。
ただ、この本当の正体を見せたニューマンの姿…
メリー・ルゥはギャアギャアとひっくりかえって逃げ惑って
可愛そうにちびってしまうのですが、、
そんな姿ですらデヴィットボウイは美しいですから、本当にびっくりします。
もう一つ、ストーリーとして面白いなぁと感じたのは
SFらしからぬ設定です。。
SFなら自分の星に帰る設定も「え?そんな方法で?」なんていう
ぶっ飛んだ設定でも構わないと思うのに、
ニュートンはひたすらきちんと起業して商売をし、
会社を大企業に育て、自分でお金を稼いでから、
専門家を呼び寄せてちゃんと宇宙船を作って帰ろうとする、、
なかなか資本主義に則っためちゃくちゃ真面目な異星人なのです。。
他人のものを無理やり奪ったり
不思議な道具を出してみたり…
しません!!!!
これがスゴイですよね~。
ただその優しさが、逆に人々を振り回す結果となっていきます。
結局、
地球に落ちて来た男ニューマンは自分の星へ帰ることは出来ず、
ただの「地球の男」になっていきます。
それが、なんとなく老年期を迎えた頃のデヴィットボウイの姿と重なりました。
映画では歳を取ってはいませんでしたが、
異星人から地球人に馴染んでいく姿が
表現者として数多くの経験と実績、月日を重ね、円熟した一人の「人間」となった
ボウイの姿に見えました。
最後はとてもロマンティックであり、胸がきゅうとなります。
ラジオで歌が届くかな…なんて、
もう、愛した家族は死に絶えているのに…
切ないですよね。
そんなこんなで、たっぷりと2時間強!美しいデヴィットボウイが満喫できる映画なのですが、、
これってR指定になってないんだね。
下半身映っちゃってますけど。。汗汗
何の何が映っちゃってますけど…
いいの?
そんな事も気にする良い子の鱗店主でした。
それじゃ、また!!
デヴィットボウイが主演した「地球に落ちてきた男」
当然のごとく、満員だった。補助席も出てた。
そして、本当に「爆音」で看板に偽りなし!と嬉しくなった幕開けでございました!!
今年の1月にこの世を去ったデヴィットボウイは、
間違いなく「死」を迎える「我々と同じ人間だったんだ」とちょこっと落胆した。
近年は、カリスマ性と品の良さを漂わせながらも年相応な「かっこよさ」があったけど
どこかで
あれだけの超越した「美しさ」を持った人は死なないんじゃないかと思っていたのだ。
超越したというのは男女という意味もあるし、人間と美術品という意味もあるし…
「神」に近いのかと。。
とにかくこの世のものでは測れない美しさが詰まった人だとずっとずっと思っていたのですが、
今回の映画を観て、再確認いたしました。
そう、デヴィットボウイの美しさは宇宙レベル!!!なのです。
美しいデヴィットボウイが豊富な映画でそれだけでも観る価値がありますが、
70年代のファッションやインテリアなども、その当時のそのままが感じられます。
このあたりも個人的には超好み♪
特にメリー・ルゥと出会ってしばらく暮らす部屋や、バスルーム
そして沢山のテレビが置かれた様子はとてもおしゃれ。
東洋テイストに溢れた湖畔の家もキモノ風の羽織も、
レトロなんだけどその色合いや質感がとても良くて、思わずストーリーそっちのけで見入っていました。
さてさて、
説明が少ないので分かりにくいとされるストーリーですが、
そこまで複雑でもなく、難解でもないので
イメージに対して自由に肉付けできるところがまた楽しいところ。
とくに、故郷である星の説明はまったくセリフもなく映像のみで
イマジネーションを掻き立てます。
デヴィットボウイが演じる異星人ニューマンの
故郷に残して来た家族が砂漠に飲まれ死に絶えていく様子も物悲しく…
セリフや説明がないので、アレですが…
多分、ニューマンの星の人々は
皮ふが水(あるいは液体)で濡れていないと生きていけないという事なのでしょう。
背中に背負ったタンクは水を循環させる機械か何かで
チューブが巻きついたビニールで全身が覆われているのは、タンクからの水をつねに皮ふに供給する役割
なのでしょうね…
それの証拠として
メリー・ルゥに自分の正体をさらけ出すニューマンが、メリー・ルゥに触れると
その部分だけがびちゃびちゃに濡れているのです。
そりゃあ…
キャアアアアーーーーーーーーーーーー!!!
ですよね。うんうん。
例えるなら「手汗」を書いた人に触られてしまうような感じ…なのかな。
という事は、ニューマンは地球に水を求めてやってきたのであろうと推測できます。
きっときっと子ども達が背負ったタンクに水を満タンに入れてあげたかったのでしょう。
そう思って冒頭の湖を眺めるシーンを見ると
胸に迫るものがあります。
ただ、この本当の正体を見せたニューマンの姿…
メリー・ルゥはギャアギャアとひっくりかえって逃げ惑って
可愛そうにちびってしまうのですが、、
そんな姿ですらデヴィットボウイは美しいですから、本当にびっくりします。
もう一つ、ストーリーとして面白いなぁと感じたのは
SFらしからぬ設定です。。
SFなら自分の星に帰る設定も「え?そんな方法で?」なんていう
ぶっ飛んだ設定でも構わないと思うのに、
ニュートンはひたすらきちんと起業して商売をし、
会社を大企業に育て、自分でお金を稼いでから、
専門家を呼び寄せてちゃんと宇宙船を作って帰ろうとする、、
なかなか資本主義に則っためちゃくちゃ真面目な異星人なのです。。
他人のものを無理やり奪ったり
不思議な道具を出してみたり…
しません!!!!
これがスゴイですよね~。
ただその優しさが、逆に人々を振り回す結果となっていきます。
結局、
地球に落ちて来た男ニューマンは自分の星へ帰ることは出来ず、
ただの「地球の男」になっていきます。
それが、なんとなく老年期を迎えた頃のデヴィットボウイの姿と重なりました。
映画では歳を取ってはいませんでしたが、
異星人から地球人に馴染んでいく姿が
表現者として数多くの経験と実績、月日を重ね、円熟した一人の「人間」となった
ボウイの姿に見えました。
最後はとてもロマンティックであり、胸がきゅうとなります。
ラジオで歌が届くかな…なんて、
もう、愛した家族は死に絶えているのに…
切ないですよね。
そんなこんなで、たっぷりと2時間強!美しいデヴィットボウイが満喫できる映画なのですが、、
これってR指定になってないんだね。
下半身映っちゃってますけど。。汗汗
何の何が映っちゃってますけど…
いいの?
そんな事も気にする良い子の鱗店主でした。
それじゃ、また!!
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