カンヌ国際映画祭でブーイングが起こった映画

2006年のアメリカ映画。
マリー・アントワネットは、ソフィア・コッポラ監督の作品で、
3か月ヴェルサイユ宮殿で撮影が行われました。
マリー・アントワネット(キルスティン・ダンスト)を
一人の少女として描いた青春映画の側面が強く表現されているので
伝記映画ではありません。

第59回カンヌ国際映画祭のプレス試写でブーイングが起こり、
フランスのマリー・アントワネット協会会長も
「この映画のせいで、アントワネットのイメージを改善しようとしてきた我々の努力が水の泡だ」とコメント。作品を非難。
歴史・伝記映画寄りではなく
当時の優雅な世界観を描いた作品と感じるので、
非難する必要性はないと思われます。
1700年代を生きていて非難するのであれば
筋が通っているかもしれませんが、
終わった歴史のことで
非難するなんて人間は争うことが
好きな動物なのかと考えさせられます。

ラストは、国外逃亡する寸前で終わりですが、
後に王家一家は囚われの身となり処刑となります。
映画はそこまでを描いたシーンはなく
どちらかと言うとマリー・アントワネットの豪華な暮らしを優雅に描いた作品です。

14歳でフランスにやってきた
少女が少女のまま終わる
歴史の中にファンタジー色を加えたストーリーである思われます。
囚われの身となり裁判、ギロチン処刑までを描いた作品であれば
煌びやかな部分が一気に崩壊させられた気分になります。
寧ろ、逃亡を図ろうとするシーンだけでも
華やさを崩壊させられた気分になったのは、
ファンタジー色も入ったからではないでしょうか?
豪華な宮殿で豪華なドレスに身を包んだパーティーばかりで、
浪費癖がスゴイ王妃というイメージを持たれている、
マリー・アントワネットですが、
母親としては良く出来た母で、
宮廷内で貧困にある者のためのカンパを募ったりする一面もあったと
大学時代にフランス文学の授業で、習った記憶があります。

フランス革命が始まり、
フランスを脱走してオーストリアにいる
兄のレオポルト2世に助けを求めようと計画しますが、
国境近くのヴァレンヌで身元が発覚してしまい
パリへ連れ戻されてしまいます。

革命裁判は夫ルイ16世に死刑判決(ギロチンによる斬首刑)。
王位継承者のルイ17世と引き離されてしまい
タンプル塔の階下に移されました。

ルイ17世は後継人のジャコバン派の靴屋である
アントワーヌ・シモンをはじめとする
革命急進派から残酷性が強い虐待を受けることに。

マリー・アントワネットはコンシェルジュリー監獄に移送され、
後日、裁判が行われ
マリー・アントワネットは提示された罪状について無罪を主張しました。

裁判所は、ジャック・ルネ・エベールやアナクサゴラス・ショーメット等に
ルイ17世の非公開尋問を行い
「母親に性的行為を強要された」とマリー・アントワネットが息子に対して

無理矢理に罪を犯した旨を証言させました。
しかし、マリー・アントワネットは裁判の傍聴席にいた
全ての女性に自身の無実を主張し、
大きな共感を呼びましたが、この出来事も判決を覆すまでには至りませんでした。
結局、革命裁判で死刑判決を受け、
翌日にコンコルド広場において夫の後を追ってギロチン送りに処せられました。
刑が執行された後「共和国万歳!」と叫び続ける国民達。
ギロチンで処刑の際に顔を下に向けるのが一般的ですが、
マリー・アントワネットのギロチン刑の場合は、
恐怖に恐怖を重ね感じさせるために
顔をわざと上に向け、上から刃が落ちてくるのが
見えるようにさせた説があるそうですが、
当時の彼女は魔女みたいな存在だったのでしょう。
2006年のこの映画では
ここまで描かれなくて良かったと本当に思います。

writing by:店員A

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