1993年の11月、
とある京都の学園祭で
打ち込みの音をバックにセーラー服3人で暴れまくるというステージをこなした
V-ICE(ヴァギナアイス)
何を隠そうナナイロが作った初めての音楽ユニットだ。
阪神大震災も経験していないあの時代にあって
軽音楽部の中でも女の子3人組というのは異質で
全てが打ち込みというスタイルも前例がなくて
また女の子がステージ上でパンツを見せて暴れまくるといった珍事を
絶賛してくれたのは少数の軽音楽部の先輩だった。
その中でも他の大学からも一目置かれる凄腕のギタリストでありながら
無類のセーラー服好きとして知られていたS先輩は大いに興奮し
「お前らはスゴイ」
「V-ICE最高」
と褒めたたえてくれた。
しかし、会場は冷え切っていた。
シンセサイザーとシーケンサーとサンプラーを使った打ち込みの音は
当時だいぶんと市民権を得つつあったが、
まだ「ピコピコ」と呼ばれており
一部の「機械が扱える連中」だけの道楽に過ぎないと思われていた。
加えて、パフォーマーも
打ち込んだ時点で曲は完結しており、
ライブで聞かせる時には楽器を持たないので手持無沙汰で
退屈させないように歌いながらも何か「魅せる」方法を探っていた。
だから、ステージの上で熱を伝えるにはこれでもか!!と暴れるしかなかった。
暴れるパフォーマンスがしたかったんじゃない。
伝わらない事のもどかしさが胸を掻くような焦燥となって全身を支配していたのだ。
だからライブ終了後
先輩達の褒め言葉に「言葉にならない」苛立ちを覚え
嬉しいようなそれでいてどこか冷めたような「あざーっす」という言葉しか出てこなかった。
映画「モッシュピット」を知ったのは
多分、1回目の名古屋上映だった時だと思う。
しかし、その時にはすでに上映は終わっており
へーこんな映画があったんだ、という程度でしかなかった。
8月にシネマスコーレで行われた「月刊 平野勝之(立派な鬼畜 IN 名古屋!)」に
カンパニー松尾さんも出るという告知があり、
その関連でようやく「モッシュピット」とカンパニー松尾がつながり、
俄然、この映画に興味が湧いてきた。
個人事務所の住所が名古屋であり
月に1度は名古屋へ出向くナナイロにとって
シネマスコーレで何が上映されているのか?は非常に重要な事。
しかし、チェックをしても中々足を運ぶタイミングが難しい。
7月の「『青春100キロ』公開記念 監督平野勝之特集」も、
ドンピシャで名古屋に居たにもかかわらず、結局観る事が出来なかった。
「月刊 平野勝之(立派な鬼畜 IN 名古屋!)」も同様。
というか、ナナイロは平野勝之さんのファン。
これだけ実際に触れる機会がありながらも、実はまだ生でお会いした事がない。。
「宝島」が音楽とエロの間をうまーくサブカルという層で漂っていた頃からだから
かれこれ25年くらい前のからの話。
多分、最初はバクシーシ山下さんから興味を持ったんじゃないかな。
あ、同じ岡山出身でこんな過激な人もいるんだ、という安心感からの興味。
元々「ドキュメント」「ノンフィクション」にはアンテナが敏感に反応するから
平野さん、そしてカンパニー松尾さんという流れは自然かな、と思う。
しかし、それを差し置いて
11月のレイトショーで上映された「モッシュピット」に仕事を終えてから駆け付けたのは
名古屋に居る大切な人が
「その日、早く仕事が終わるから少しだったら会えるよ」
と言ってくれたからに他ならない。
人間の原動力なんて、単純にできているんだよ。
ほんと。
こうして、初めて
全てのタイミングが整った。
2016年11月22日。
少し寒さが沁みた、この日。
仕事を終えてすぐに
「モッシュピット」を観るためだけ!という口実で大切な人と会う事を含めた
名古屋行きが決まった。
名駅からまずはシネマスコーレで整理券をゲットする。
奇跡のような「2」という数字を引いて、少し拍子抜けする。
もっと観客がわんさかと詰めかけているイメージだったから。
とにかく「2」をしっかりと握りしめて、つかの間、大切な人との時間を過ごす。
短い時間であればあるほど、一緒にいる時間を無駄にしたくないといつも思う。
だから、その間だけは「自分がここにいる理由」の100%を彼に注ぐ。
今日会いたい、明日会いたいを簡単に叶えられる二人じゃないからこそ培った、
時間の使い方。
すでに7年になる。
束の間一緒に居る幸せを満喫して、シネマスコーレに戻った。
映画館の前には数名の人が
会場までの時間を待つ。
遠くにカンパニー松尾監督を発見。
さっきまでと違って
独りになったからなのか、
急に北風を冷たく感じるようになった。
とある京都の学園祭で
打ち込みの音をバックにセーラー服3人で暴れまくるというステージをこなした
V-ICE(ヴァギナアイス)
何を隠そうナナイロが作った初めての音楽ユニットだ。
阪神大震災も経験していないあの時代にあって
軽音楽部の中でも女の子3人組というのは異質で
全てが打ち込みというスタイルも前例がなくて
また女の子がステージ上でパンツを見せて暴れまくるといった珍事を
絶賛してくれたのは少数の軽音楽部の先輩だった。
その中でも他の大学からも一目置かれる凄腕のギタリストでありながら
無類のセーラー服好きとして知られていたS先輩は大いに興奮し
「お前らはスゴイ」
「V-ICE最高」
と褒めたたえてくれた。
しかし、会場は冷え切っていた。
シンセサイザーとシーケンサーとサンプラーを使った打ち込みの音は
当時だいぶんと市民権を得つつあったが、
まだ「ピコピコ」と呼ばれており
一部の「機械が扱える連中」だけの道楽に過ぎないと思われていた。
加えて、パフォーマーも
打ち込んだ時点で曲は完結しており、
ライブで聞かせる時には楽器を持たないので手持無沙汰で
退屈させないように歌いながらも何か「魅せる」方法を探っていた。
だから、ステージの上で熱を伝えるにはこれでもか!!と暴れるしかなかった。
暴れるパフォーマンスがしたかったんじゃない。
伝わらない事のもどかしさが胸を掻くような焦燥となって全身を支配していたのだ。
だからライブ終了後
先輩達の褒め言葉に「言葉にならない」苛立ちを覚え
嬉しいようなそれでいてどこか冷めたような「あざーっす」という言葉しか出てこなかった。
映画「モッシュピット」を知ったのは
多分、1回目の名古屋上映だった時だと思う。
しかし、その時にはすでに上映は終わっており
へーこんな映画があったんだ、という程度でしかなかった。
8月にシネマスコーレで行われた「月刊 平野勝之(立派な鬼畜 IN 名古屋!)」に
カンパニー松尾さんも出るという告知があり、
その関連でようやく「モッシュピット」とカンパニー松尾がつながり、
俄然、この映画に興味が湧いてきた。
個人事務所の住所が名古屋であり
月に1度は名古屋へ出向くナナイロにとって
シネマスコーレで何が上映されているのか?は非常に重要な事。
しかし、チェックをしても中々足を運ぶタイミングが難しい。
7月の「『青春100キロ』公開記念 監督平野勝之特集」も、
ドンピシャで名古屋に居たにもかかわらず、結局観る事が出来なかった。
「月刊 平野勝之(立派な鬼畜 IN 名古屋!)」も同様。
というか、ナナイロは平野勝之さんのファン。
これだけ実際に触れる機会がありながらも、実はまだ生でお会いした事がない。。
「宝島」が音楽とエロの間をうまーくサブカルという層で漂っていた頃からだから
かれこれ25年くらい前のからの話。
多分、最初はバクシーシ山下さんから興味を持ったんじゃないかな。
あ、同じ岡山出身でこんな過激な人もいるんだ、という安心感からの興味。
元々「ドキュメント」「ノンフィクション」にはアンテナが敏感に反応するから
平野さん、そしてカンパニー松尾さんという流れは自然かな、と思う。
しかし、それを差し置いて
11月のレイトショーで上映された「モッシュピット」に仕事を終えてから駆け付けたのは
名古屋に居る大切な人が
「その日、早く仕事が終わるから少しだったら会えるよ」
と言ってくれたからに他ならない。
人間の原動力なんて、単純にできているんだよ。
ほんと。
こうして、初めて
全てのタイミングが整った。
2016年11月22日。
少し寒さが沁みた、この日。
仕事を終えてすぐに
「モッシュピット」を観るためだけ!という口実で大切な人と会う事を含めた
名古屋行きが決まった。
名駅からまずはシネマスコーレで整理券をゲットする。
奇跡のような「2」という数字を引いて、少し拍子抜けする。
もっと観客がわんさかと詰めかけているイメージだったから。
とにかく「2」をしっかりと握りしめて、つかの間、大切な人との時間を過ごす。
短い時間であればあるほど、一緒にいる時間を無駄にしたくないといつも思う。
だから、その間だけは「自分がここにいる理由」の100%を彼に注ぐ。
今日会いたい、明日会いたいを簡単に叶えられる二人じゃないからこそ培った、
時間の使い方。
すでに7年になる。
束の間一緒に居る幸せを満喫して、シネマスコーレに戻った。
映画館の前には数名の人が
会場までの時間を待つ。
遠くにカンパニー松尾監督を発見。
さっきまでと違って
独りになったからなのか、
急に北風を冷たく感じるようになった。
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