少人数のお客さんの前で、
映画「モッシュピット」が始まった。
今回はライブに焦点を当てて編集しなおしたバージョンらしい。
なんせこの映画は
名古屋で初のライブを敢行する「ハバナイ」を応援するための上映なのだから。
というのは知っていても、
実際に「ハバナイ」って誰?という状態。
前知識も入れずに映画にきてしまう自分が恐ろしい。
http://three6pack.tumblr.com/
現在の公式サイト
もしかしたらtwitterで情報を拾う方が、実体に近いのかもしれない。
なんというか癖のある男だ。
have a nice day(ハバナイ)浅見北斗。
多分、近くにいたら「イラっと」しながらも
気になってしょうがない人物なんだろうな、と思う。
後のトークショーで、それはカンパニー松尾さんも言っていた。
何だ?コイツ。。と思いながら
目が離せなくなる、という不思議な現象を巻き起こす男なのだと。
音楽自体は、そんなにハードでもない。
どちらかというと、ピコピコポップスに近いのだ。
それなのに、
スクリーンに映る観客の
ダイブ、モッシュの嵐。
すげぇ、、
時代はこんなになってるんだ。
自分がピコピコしていた約20年前には考えられなかった奇跡。
つか、最近の子もライブで暴れるんだ。
そっか、ああそっか、そっか。
何だか、かなり安心した。
暴れる場所がないから、
突然の時に潰れたり変な方向に力を使ったりしているのかと思ってた。
しかし、浅見という男、
シーンになりたいと言ってなってしまうのだから、
はっきり言うがスゴイ。
それは日本中を巻き込むような大きなものではないけど、
確実に触れた人へ何等かの影響を与える。
東京のある限られたところだけかもしれないけど、
ただ、その小さくて大きな存在が
この映画を通して「知れ渡ってしまった」わけだ。
お蔭でhave a nice dayは名古屋でライブをしなくてはならなくなった。
求められているのは
「モッシュピット」の後の世界。
さて、
映画の内容は実際に見てもらった方が早いので
詳しくは書かないけど、
have a nice dayや
NATURE DANGER GANGを見ていて思い出した事を
前回のブログので書いた。
冷え切った会場を後にする時
この先、この音楽で誰かが(特に性別が女性とされる者が)
ステージで暴れたりするたびに「事件」のように扱われて
まあ、それはそれで居心地がいいかも、なんてとても思えなかった。
それでも私たちは他人のバンドの時でも勝手にダンサーとして舞台に上がったり
それに共鳴してくれたバンドとコラボで「トレイン・ケプト・ザ・ローリー」を飛び跳ねながら歌ったり
少しづつ影響を及ぼしながら
4年ほど活動を続けた。
最期まで、我々の「ピコピコ」で暴れる人はいなかったけど、
その頃から「クラブ」でテクノが市民権を得て
DJが巨大フロアを揺らすようになり
それが何となく終着地点のように思えた。
椎名林檎が
看護師姿でガラスを割り始めたころにナナイロは音楽発信する立場を離れ
少しずつ変わっていくシーンとは別の道を歩み始めた。
劇的に変わったと思ったのは「ミドリ」の登場だ。
大阪のライブで彼女たちを見て衝撃を受けた。
後藤まりこは、セーラー服でギターをかき鳴らし、マイクで煽り、
客席にダイブした。
まじか。。。
それでもまだ彼女の持っていたのは「ギター」だった。
生音だった。
決して、、「ミドリ」は総じてポップではなかった。
だから、暴れるのも何となくみんなが受け入れた部分もあったと思う。
それが、今回の「モッシュピット」では
ほぼ半裸の人が
ピコピコをバックに
はしゃぎまくり、暴れまくり、そして飛び込みまくっている。
観客のボルテージは、
コアなライブの観客と変わらないエネルギーの塊のようなもの。
そんな観客が…
20年前には冷めた視線しかもらえなかったパフォーマンスを
熱狂して共有している不思議。
この20年に何があった?
そう思わざる得ない。
つか、我々が20年早かったんだ。
観客に求めていたことが、、
やっと時代が追いついてくれた。
そっか、ああそっか、そっか。
それでかなり昔のナナイロも救われた。
それにしても
見ているとライブに行きたくなる。
もう40代なのだから、昔のようには暴れられないだろうけど
それでもやっぱり
生の息遣いや匂いや声や音
ビリビリと腰からくる重低音に包まれるライブが好きなんだと再認識。
しかし、そう思わせてくれたのは
この映画が何の混じり気もなく純粋に
そのまま(ありのまま)を
撮っているから。
画の選び方がめちゃくちゃいいんだって!
よくぞこの瞬間を撮ってたよなぁ、というのがいいタイミングで来る。
これは編集もそうだけど
とにかく撮ってないと使えないのだから
このチョイスがさすがです^^
あと、レイアウトが好みなんです。
かっこよくないですか?
文字の配置やらフォントやら構図やら、、
たまらない!です。
この辺は個人的に映画を観る時、大事にしてます。
最後はカンパニー松尾さんのトークで締め!
「モッシュピット」がどういういきさつで撮られたものかなどの経緯や
浅見北斗さんの人物像も語られ
お話しがお上手なので、聴いているだけであっという間に終わってしまった。
視点や切り口もさらに興味をそそられる方です!
また、一人好きな監督増えちゃった。
そんなこんなの名古屋シネマスコーレ。
レイトショー終わりで
大阪に帰れなくもないけど、
次の日は祝日だから、ゆっくり帰ろうと宿を取った。
興奮はそれほど簡単には醒めない。
よい映画とトークショー、そして大切な人との時間もあったから。
これほど、
来てよかったと思える衝動は少ないかもしれない。
古いビジネスホテルは思っていたよりも断然広かった。
快適ではあったが興奮の所為か
それとも昔の事をぐるぐる思い出していた所為か
うつらうつらとした
浅い眠りで
名古屋の早朝を潜り大阪への帰路についた。
大学の時に何度も向かえた
何ともいえない「絶望」からの「諦め」のライブ明けの朝を
思い出しながら。
映画「モッシュピット」が始まった。
今回はライブに焦点を当てて編集しなおしたバージョンらしい。
なんせこの映画は
名古屋で初のライブを敢行する「ハバナイ」を応援するための上映なのだから。
というのは知っていても、
実際に「ハバナイ」って誰?という状態。
前知識も入れずに映画にきてしまう自分が恐ろしい。
http://three6pack.tumblr.com/
現在の公式サイト
もしかしたらtwitterで情報を拾う方が、実体に近いのかもしれない。
なんというか癖のある男だ。
have a nice day(ハバナイ)浅見北斗。
多分、近くにいたら「イラっと」しながらも
気になってしょうがない人物なんだろうな、と思う。
後のトークショーで、それはカンパニー松尾さんも言っていた。
何だ?コイツ。。と思いながら
目が離せなくなる、という不思議な現象を巻き起こす男なのだと。
音楽自体は、そんなにハードでもない。
どちらかというと、ピコピコポップスに近いのだ。
それなのに、
スクリーンに映る観客の
ダイブ、モッシュの嵐。
すげぇ、、
時代はこんなになってるんだ。
自分がピコピコしていた約20年前には考えられなかった奇跡。
つか、最近の子もライブで暴れるんだ。
そっか、ああそっか、そっか。
何だか、かなり安心した。
暴れる場所がないから、
突然の時に潰れたり変な方向に力を使ったりしているのかと思ってた。
しかし、浅見という男、
シーンになりたいと言ってなってしまうのだから、
はっきり言うがスゴイ。
それは日本中を巻き込むような大きなものではないけど、
確実に触れた人へ何等かの影響を与える。
東京のある限られたところだけかもしれないけど、
ただ、その小さくて大きな存在が
この映画を通して「知れ渡ってしまった」わけだ。
お蔭でhave a nice dayは名古屋でライブをしなくてはならなくなった。
求められているのは
「モッシュピット」の後の世界。
さて、
映画の内容は実際に見てもらった方が早いので
詳しくは書かないけど、
have a nice dayや
NATURE DANGER GANGを見ていて思い出した事を
前回のブログので書いた。
冷え切った会場を後にする時
この先、この音楽で誰かが(特に性別が女性とされる者が)
ステージで暴れたりするたびに「事件」のように扱われて
まあ、それはそれで居心地がいいかも、なんてとても思えなかった。
それでも私たちは他人のバンドの時でも勝手にダンサーとして舞台に上がったり
それに共鳴してくれたバンドとコラボで「トレイン・ケプト・ザ・ローリー」を飛び跳ねながら歌ったり
少しづつ影響を及ぼしながら
4年ほど活動を続けた。
最期まで、我々の「ピコピコ」で暴れる人はいなかったけど、
その頃から「クラブ」でテクノが市民権を得て
DJが巨大フロアを揺らすようになり
それが何となく終着地点のように思えた。
椎名林檎が
看護師姿でガラスを割り始めたころにナナイロは音楽発信する立場を離れ
少しずつ変わっていくシーンとは別の道を歩み始めた。
劇的に変わったと思ったのは「ミドリ」の登場だ。
大阪のライブで彼女たちを見て衝撃を受けた。
後藤まりこは、セーラー服でギターをかき鳴らし、マイクで煽り、
客席にダイブした。
まじか。。。
それでもまだ彼女の持っていたのは「ギター」だった。
生音だった。
決して、、「ミドリ」は総じてポップではなかった。
だから、暴れるのも何となくみんなが受け入れた部分もあったと思う。
それが、今回の「モッシュピット」では
ほぼ半裸の人が
ピコピコをバックに
はしゃぎまくり、暴れまくり、そして飛び込みまくっている。
観客のボルテージは、
コアなライブの観客と変わらないエネルギーの塊のようなもの。
そんな観客が…
20年前には冷めた視線しかもらえなかったパフォーマンスを
熱狂して共有している不思議。
この20年に何があった?
そう思わざる得ない。
つか、我々が20年早かったんだ。
観客に求めていたことが、、
やっと時代が追いついてくれた。
そっか、ああそっか、そっか。
それでかなり昔のナナイロも救われた。
それにしても
見ているとライブに行きたくなる。
もう40代なのだから、昔のようには暴れられないだろうけど
それでもやっぱり
生の息遣いや匂いや声や音
ビリビリと腰からくる重低音に包まれるライブが好きなんだと再認識。
しかし、そう思わせてくれたのは
この映画が何の混じり気もなく純粋に
そのまま(ありのまま)を
撮っているから。
画の選び方がめちゃくちゃいいんだって!
よくぞこの瞬間を撮ってたよなぁ、というのがいいタイミングで来る。
これは編集もそうだけど
とにかく撮ってないと使えないのだから
このチョイスがさすがです^^
あと、レイアウトが好みなんです。
かっこよくないですか?
文字の配置やらフォントやら構図やら、、
たまらない!です。
この辺は個人的に映画を観る時、大事にしてます。
最後はカンパニー松尾さんのトークで締め!
「モッシュピット」がどういういきさつで撮られたものかなどの経緯や
浅見北斗さんの人物像も語られ
お話しがお上手なので、聴いているだけであっという間に終わってしまった。
視点や切り口もさらに興味をそそられる方です!
また、一人好きな監督増えちゃった。
そんなこんなの名古屋シネマスコーレ。
レイトショー終わりで
大阪に帰れなくもないけど、
次の日は祝日だから、ゆっくり帰ろうと宿を取った。
興奮はそれほど簡単には醒めない。
よい映画とトークショー、そして大切な人との時間もあったから。
これほど、
来てよかったと思える衝動は少ないかもしれない。
古いビジネスホテルは思っていたよりも断然広かった。
快適ではあったが興奮の所為か
それとも昔の事をぐるぐる思い出していた所為か
うつらうつらとした
浅い眠りで
名古屋の早朝を潜り大阪への帰路についた。
大学の時に何度も向かえた
何ともいえない「絶望」からの「諦め」のライブ明けの朝を
思い出しながら。
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