『ぼっちゃん』 非正規雇用の連鎖反応

ぼっちゃんは、大森立嗣監督の作品で2013年3月に上映されたました。秋葉原通り魔事件の犯人モデルにした内容で、コミカルなシーンもありましたが、正直笑えません。モデルの犯人は、非正規雇用でした。このような事件を起こす20代の若者がメディアで取り上げられると、モデルとなった犯人と共通している部分は、目立たず大人しい性格で、正規雇用ではなく非正規雇用でストレスを溜めて爆発するタイプということです。

ぼっちゃんの場合は、主人公・梶が容姿に劣等感を抱いており、携帯サイトの掲示板に自虐ネタを書き込んでいるシーンもありましたが、職場で友達が出来たということが、モデルとなった犯人と大きな違いかな?そう思っていたら、あることが原因で大声でキレて絶交だと言い出し、それは梶の誤解だった。一度、ダメになった人間関係を修復することが出来ない大人です。義務教育時代にクラスメイトと喧嘩しても仕方なしに仲直りして、気付いたら喧嘩してた原因を忘れてるということが多いと教育評論家がテレビで口にしていていました。しかし、ぼっちゃんの主人公・梶のモデルとなった男は、親が友達を選ぶなど最初からレールを引かれて違うストレスがあったと言われいます。
梶のモデルとなった犯人は、派遣切りされることが決まって数日後、更衣室のロッカーで「つなぎがない」とキレてしまい怒り爆発してしまいました。大人しい人が溜めているストレスは、ストレスコントロールが出来ない人の何倍、何十倍にも膨れて、加減を知らないとも言われていますが、社会に馴染めないということは、人との関わりが、苦痛という意味なので、ただ生きてるだけでストレスが溜まっていくのです。社会に出ても地獄、社会から疎外されても地獄、大人しい人は常に生きづらさを抱えています。

ぼっちゃんのモデルとなった犯人を擁護するつもりはありません!

格差社会で底辺層が増えれば増えるほど、こういう事件が起こる可能性が高くなっています。秋葉原の通り魔事件は6月に起きてます。6月は気候、気圧の関係で精神的にも肉体的にも体調がしんどくなりやすいと言われていますが、それだけではないと思います。今年の6月に20代の若者が、不幸な事件を起こして世間が注目したのは、東海道新幹線殺傷事件や富山交番襲撃事件がありましたが、彼らは学生時代から大人しいけど風変わりした子供で、学校に馴染めずコミュニケーション能力に問題があったと言われおります。発達障害も関係していると言われますが、配慮が足りないからコミュニケーション能力が悪化したかもしれません。つまり日本社会では自己責任ということになります。発達障害があったとしても自己責任、社会に出て精神疾患になっても自己責任という扱いであり、助けを求めるということは甘えというふうに扱われてしまいます。また、発達障害は甘えだと一方的に決め付ける人が多いことも事実であり、何でダメなのか1から10まで説明せず、自分で考えろと切り捨てる人もいるので、そういうことがあると余計に日本で生きることに対して弾き出された考えになってしまうそうです。

自尊心の低下で、携帯の掲示板でタブーとされる書き込みをしているシーンが、ぼっちゃんにもありましたが、容姿とコミュニケーション能力はセットで大事とされるのが日本社会と笑えませんでした。どちらか片方が良かったら悪いほうをカバー出来る可能性があるとされていますが、どちらも悪いと日本で生きることは難しいとされている気がします。日本には就労移行支援という障害福祉サービスがあり、障害者を対象にビジネスマナーやSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)を教えて就職面接の訓練をしてくれるサービスがありますが、なぜか就労移行支援サービスは発達障害、精神障害を持つ人だけを対象にした障害福祉サービスというイメージを持つ人が多いですね。また、就労移行支援サービスは2年しか利用出来ないので、2年以内に仕事が決まらない場合は弾き出されてしまいます。仮に仕事が決まったとしても非正規雇用です。障害者雇用に限らず、一般雇用でも非正規雇用が当たり前とされている時代なので仕方ないかもしれません。

容姿良くてとコミュニケーション能力が高くないと日本で生きていけないと思い知らされた場面が多かったですが、育った環境と格差社会で負け組みと言われる人が増えれば増えるほど、このような事件は連鎖するかもしれません。
一番不幸な人は、それに巻き込まれ命を落とした方々です。そのような人が現れることがないよう格差の貧困層を日本政府は、何とかしないといけないのですが、改善される期待しない方がいいでしょう!

自分の身は自分で守るということを頭に入れた方がいいということです。

writing by:店員A

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